『ブラック企業』は差別だという単純な発想に感動
こんな記事を見つけました。
「ブラック企業」は、人種差別用語である (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース BUSINESS
この単純な考え方、純粋さに感動しました。
要約すると、
「ブラック=悪、ホワイト=白という考え方は、無意識のうちに、肌の色の、
有色かあるいは白色かで優劣をつける社会を育んでしまう危険性がある。」
だから、「ブラック○○」、「ホワイト○○」みたいな言葉を使うのは止めようという
事の様です。
論点はそこではないと思います。
昔から、「色」はそもそも持っている記号性に加えて、意味性を持ってきました。
それは、良い意味も悪い意味も両方を持っています。
例えば、「青」は自由を表すのと同時に、未熟さを表します。
「紫」は高貴な色とされて来た一方で、死を意味する色でもあったりします。
元の原稿で書かれている「白」もポジティブな意味がある一方で、「白痴」
という言葉があったりします。
又、国によっても意味が変わってきます。例えば、上記した「青」、イギリスでは
「blue film」というとポルノを指します。
このように、(ちょっと強引ですが、)ある種の文化的背景を踏まえて言葉は記号性に加えて、意味性を持って行きます。こういう含みを持って行くことは、文化の成熟と言ってよい事ではないでしょうか?
だから、「ブラック○○」を言葉狩りをするのは、文化の破壊に繋がる行為です。もちろん、圧倒的な差別用語は、時代背景と共に淘汰されて行きますが「ブラック○○」の駆逐はやり過ぎです。
では、どうすれば良いのか?
元の原稿には下記の様な一文があります。
スリランカ人の義理の弟は以前、道端で、通りすがりの中年男性からいきなり「黒んぼ! 」と言われ、しばらく落ち込んでいた時期があった。
これを、無くせば良いのです。
つまり、人間を「色」で呼ぶという行為を撲滅するのです。
これだけのシンプルな事で解決します。
それなのに、言葉狩りを推奨するなんて・・・
しかも、「ブラック企業」という擁護する人=権力者=敵と思われている言葉を例に使うのは炎上をねらっての記事としか思えません。
もっと先の理想は、「ブラック企業」がこの国からなくなって「ブラック企業」という言葉が死語になれば良いなと思います。
そんな事を、私の持っている夢として最後に書かさせていただきます。